正月初めに行われる修正会。天理市の苣原大念寺では宮座の宮本十一人衆が本堂に集まってくる。世話方が差し出すお茶とお菓子でしばらく歓談したのち始まったケイチン行事。宮本の一老は元西福寺(ドノシと呼ばれていてお堂の西に位置する)に祀られていた薬師さんの前の灯明に火を点けていく。その前に座して読誦が始まった。宮本衆一同は本堂の外に出てサクラの木を手に持っている。その前は板が敷かれている。二老は回廊に置いた太鼓の前に位置した。百灯明の灯りがゆらゆらと照らし出され、一老は神名帳を読み上げる。天照大御神、金峯神社、熊野神社、八幡神社、住吉神社、白山神社、笛島神社、立山神社、廣田神社、多度神社、諏訪神社に引き続き、1月守護神大和国の各神社、2月は山城国各神社、3月は河内国、4月は津国、5月は和泉国、6月は東海道十五ケ国、7月は東山道八ケ国、8月は北陸道七ケ国、9月は山陰道十二ケ国、10月は山陽道八ケ国、11月は南海道六ケ国、12月は西海道十一ケ国だ。読誦の最中、突然に発せられたダンジョウ。これを合図に太鼓は打たれサクラの木を板に打ち付けてバシバシと叩く。数秒間のダンジョウは激しい響き。それを終えると再び静かに読みあげる。それは三回行われる。山城国、東山道、西海道の神名のあとだ。国家安泰、村の安穏・五穀豊穣を祈願する修正会や修二会の結願で神名帳を読み上げられる法要のひとつは「ケイチン」と呼ばれている。昔のダンジョウ(担昇の字をあてている)は子供が叩いていた。藁で編んだ円座に座ってやった。それは一斗鍋の大きさだったので、行事を終えた円座は鍋敷きに使っていた。もう何年になるやろか、子どももおらんようになったからと宮本衆が叩くようになったという。かっては隣村の上仁興で見られた「ダイワ」もあったが、時代の流れか、これもやめられたという。そのころの「ダイワ」はつるし柿、ミカン、クリを竹の串に挿して、ケイチンのモチを供えた。そのモチはとんどのときに焼いた。もひとつのモチは家に持ち帰って焼いた。これを「ブトの口焼き」というた。ブトは刺しよるんで焼いたるんじゃといい、害虫除けの意味なんだとおっしゃった。当時はドノシ、北脇、谷脇の三ヶ所でとんどをしていたが今は見られない。(H21. 1. 5撮影)
苣原(元西福寺) 「神名帳を読みあげ」
【苣原(元西福寺) 「神名帳を読みあげ」】
苣原(元西福寺) 「ケイチンのダンジョウ叩き」
【苣原(元西福寺) 「ケイチンのダンジョウ叩き」】
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