田植えを済ませた日曜日に行われる都祁南之庄の毛掛篭は標高631.2kmの都介野岳へ登ることから始まる。登山口に集まった総代、国津神社の社守さんや役員は車に同乗して数百メートル登っていく。車を停めてそこからは人力で登っていく。登山道は杖をつくほど急坂だ。頂上にたどり着くとそこに龍王神社が祀られている。後方に祀られている四つの社は日輪教のもので龍王神社とは関係がなく、覆い屋が出来るまでは龍王社は石の上に鎮座していたという。お参りを済ませると拝殿に座ってジャコを肴にお神酒をいただく。毛掛籠もりの「毛」とは「毛」をかけるといって田植えのこと。無事に田植えを終えることができたと参る奉告祭の意味がある毛掛籠もり。
田植え前は畑を耕す荒起こし。かってはその荒起こしを済ませたら荒起こし籠もりをしていた。拝殿での直会はまさしく籠もりであって水の神さんの龍王さんと供に饗応する。龍王さんは雨乞いの願掛けで登っていた。村から提灯を手に持って登った。雨が降らんかった6月、7月。お寺で般若心経を唱えてそれでも降雨がなければ登った雨乞い祈願の岳登りだった。そのころ12歳だった50歳の男性は今でも覚えているという。雨が三日降ったら国津神社で雨乞い満願の「コズモ」と呼ぶ子供相撲をしていた。年長者が勝ったら御幣をもらう。当時使っていた軍配が残っているそうだ
(H21.5.24撮影)
都介野岳龍王神社 「田植え奉告参り」
【都介野岳龍王神社 「田植え奉告参り」】
都介野岳龍王神社 「毛掛篭」
【都介野岳龍王神社 「毛掛篭」】
inserted by FC2 system