平城京の時代、羅城門近くの佐保川には水運利用の船着場があった大和郡山市の高田町。ここは矢田寺地蔵尊参りの分岐点。行基菩薩が道標として地蔵尊を設け周囲に枳殻(からたち)の木を植えたことからその地蔵尊はきこく地蔵と呼ばれ親しまれたという。昭和九年に佐保川の大改修が行われた際、旧堤防から数多く地蔵さんが出土したので地区の人らは大切にしなきゃと地蔵堂に建立して枳殻の木を植えた。当時は戦時中。「きこく」を「帰国」と言い替えて無事に帰国できるようにと、願かけてお百度参りが絶えなかったという。(H19.
7.23撮影) |