天理市南六条北の元興蔵寺では毎月21日に大師講が営まれている。講衆は下が70歳から上は80歳のご婦人方。寄進された掛け軸の箱(明治41年装幀)には生きていたら100歳になってたであろう先代のおばあちゃん方の名前がずらりと書かれている。数えてみれば昭和43年ころは16人もいた。今は半数以下の7人になった。講に入ったらおばあちゃんと思っている人も多くて、年寄りと感じるせいか入講する人もなく跡継ぎは途絶えているという。月当番の二人は、お大師さんの掛け軸二つを掲げて、家でこしらえた二つの「お膳」を供える。お花を飾り、灯明に火を点してはじまった大師講は百万遍数珠繰り。当番は中央に座って鉦を叩く。ナンマイダーブツ、ナンマイダーと繰り返し唱えながら数珠を繰っていく。一周する度にカズトリ数珠を動かしていく。100回数珠繰りしていたが今は50回に減らした。数珠繰りを終えるころに丁度灯明が消えかかる。最後はお大師さんのお念仏である高野山のご真言を唱えて終わる。特徴あるお膳は五つの椀に盛られている。アズキ御飯の椀、シイタケ、ゴボウ、コンニャク、アゲの煮物椀、同じくマメ、コンニャクの煮物椀。中央の椀にはキュウリ、カニカマボコの酢の物、季節もの椀にはキンカンが盛られている。私が子どものときは長膳(ながぜん)といってお膳をずらりと並べたものがあったという。そのころは当番の家で行われていて、ゴッツオを作らなあかんかったと80歳のご婦人は思い出すように話される。大師講のお勤めはお通夜のとき。亡くなった家に呼ばれて西国三十三番ご詠歌を唱える。信仰が薄くなったのか、“きょうび”は断られるようになってしもたわと大和言葉で仰った。(H21. 7.21撮影) |