大和郡山市の8月地蔵盆は早朝からテント張りなどで準備に忙しい。その多くは昼過ぎや夕刻でお寺さんの法要や数珠繰りなどで繰り広げられているが、矢田山に位置する矢田北村では夕食を済ませた8時に始まる。真新しい涎掛けを着せ替えた地蔵さんの前にゴザを敷いて集まったご婦人と子供たちは凡そ20数名。婦人会が営む般若心経で始められた夜の地蔵盆は女性ばかりの柔らかい声明が鉦音とともに地区に流れる。一巻で済ませた心経を終えると子どもたちにお下がりを配り、それからは一時間、村の話題などで語り場となったここは「トンドの場」でもある。2月の小正月に正月飾りを持ち寄ってトンドで燃やしてモチを焼いていた。モチを食べると病気にならんといって黒くなったものを食べた。青竹に火を点けて家の竃や神棚の灯明に移した。青竹の火はカキの木で消した。いっぺんに集まっていなかったので、来る人が徐々にいなくなり今は誰も来なくなったという。「昭和34年の伊勢湾台風のときじゃった。山が崩れ、家の前の急坂は土砂と雨水によって流木がすごい勢いだった。その山にあった地蔵さんはここに流れてきたのよ」と話すご婦人方。カキの木も潰されて溜まった土砂の量のすごさを両手で表した。子供のときから住んでいる人は目を輝かせるように話される。そんな村の状況は写真に残っていない。記憶を伝えればと地蔵盆の夜に語られた。(H21. 8.23撮影)
矢田北村 「地蔵盆」
【矢田北村 「地蔵盆」】
inserted by FC2 system