江戸時代に流行ったお伊勢参り。お参りは行きたいがお金の工面がいる。当時の庶民にとっては旅費負担が重みであった。いきなり大金を工面できるはずもなく、少しずつお金を積み立てて用立てした。それが伊勢講の仕組みである。気のあった者どうしが集まって組織された伊勢講は数少なくなった。現代でも続いている伊勢講の大半はお伊勢参りの旅行ツアーになっている。
室生区下笠間には数組の伊勢講や個人宅で営む家がある。そのうちの一組は
6軒の講中で営んでいる。12月16日と決まっていた伊勢講の日は、集まりやすい16日に近い日曜日になった。かつて当番の家に集まって飲食していた。お寿司、オードブル、茶碗蒸し、すき焼きを食べていた。前当番家の新婚時代だった50年前はダイビキがあった。大きな平皿に盛った丸ごとの鰤。食べやすいように切り身の刺身料理にしていた。長机を座敷に2列並べて席についてよばれた。大きな皿鉢料理をダイビキと呼んでいた。七品で作った料理はメンメンボンという。講の家に行くときは空の重箱を持って行って、帰るときにメンメンボンの料理を詰めて持ち帰った。お寿司やオードブルに茶碗蒸しがご馳走だった。それらはいつしかすき焼きに代わった。そんなたいそうなことはかなわんということで、お金を集めて名張の料理屋に行くようにした。
飲食は大きく変化したが、伊勢講の舘は今でも祀っている。当番の家で一年間、床の間で祀ってきた舘は、この日に次の当番の家に渡される。普段の日は炊いたご飯と水を供えている。祝いの日であれば御供は七品になるが、それをしなければならないというような決まりはない。祀ってきた舘を布巾などで埃をはらって美しくして、お頭付きの魚
(サバかアジ)とキノコ(この年はシメジ)にダイコン、洗米、御神酒を供える。次当番へ行く時間が迫ってきたのでそろそろ行こかと舘を抱えた当主。隣家の主とともに次当番の家に向かった。受け入れ当主は、舘を迎えて祭壇に祀って灯明に火を点す。集まった講衆は手を合わせて拝む。受け入れの式典は瞬く間もなく終わった。料理屋のお迎えマイクロバスが来るまでは会費を集める会計報告の場。数年後にはお伊勢参りができそうな金額になったと話す(H21.12.13撮影)
下笠間 「下笠間の伊勢講」
【下笠間 「下笠間の伊勢講T」】
下笠間 「下笠間の伊勢講」
【下笠間 「下笠間の伊勢講U」】
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